視覚野は顔、頭の方向によって定位される。同様に注意も顔、頭の方向、傾きによって定位される。

 複視の障害に対して、自分の視野の中で逆に複視が起きてない領域はどこだろうか、なぜそこでは複視が生じずにすんでいるのだろうか?について、考えていて、重要な気づきがあった。

さらにこの気づきことは、「目と左手のずれ」問題において、目玉を標的に向けることよりも、顔を標的に向けて動かすことが成功の鍵であることの理由でもあるかもしれない。


視野のことを考えるときに、眼球の方向、中心視の方向性をなんとなく重視してた。眼球の方向によって目の網膜に映る像が変わるわけなので、なんとなく、視野にはその網膜像が1対1対応で、そのまま視野に投影されていると考えてしまっていた。しかしこれは考えてみるとおかしな理解だ。もしそのように網膜像がそのまま視覚野に投影されていたら、眼球をきょろきょろするたびに視野はがらりがらりと不安定に忙しく切り替わるはずだ。眼振といって目が揺れたりすることがあるが、その時には視野がブルブルと震え、地震か?と思うはずだ。しかし自覚的にはそうはならず、視野はある程度安定していて、視野や世界が震えたのではなく、自分の目が震えただけ、自分がきょろきょろしただけと知覚される。眼球を動かしてどこかに目を向けたときにも、視野が動いたというよりも、安定した視野の中で目を動かして情報を探している、ように感じられる。目玉を動かしてギリギリ左端を見るようにしたときにもその左端が中心になる座標系に視野自体が変わるわけではなく、同じ安定した視野の中で自分が視野の端っこに向けて目を向けているように感じられる。



さらに難しいのは「視野=認識された現実世界」ではなく、認識された現実世界はさらに身体の上下左右や傾きやなんやかんや、三半規管からの自分の空間上の位置と傾きの感覚で補正されていて、顔が斜めになっているからといって、現実世界が斜めになっているようには認識されない。ちゃんと現実世界の中で自分の頭が斜めに傾いちゃっているように認識される。


そんなこんなで、視野が顔の向き、頭の向きや傾きによって規定されているのと同様に、視覚的注意能力、どこに注意が向けられて、どこに注意が向けられないかも、顔の向きや頭の傾きに規定されているということになる。たぶんこれが、目と手のずれ問題において、目玉をターゲットに向けて狙いを定めるだけではだめで、頭を動かして狙いを定めることが成功の鍵となることの理由なのだろうと思う。


これは結構重要な気づきではないだろうか。


安全に歩くため、街などの複雑な環境の中で迷わないため、など注意の能力が要求される場面では、目玉だけをきょろきょろ動かして情報収集するだけでは十分ではなく、頭を細かく動かして情報収集することが大切だ、ということだ。たぶんそれによってそれによって三次元的により正確な知覚が可能になるのだろうと思う。


障害を受けてしまった今頃気づいても遅いが、これはクライミングでつかめるかつかめないかのギリギリのホールドを狙うときにも非常に重要なポイントだったな。目を動かして狙いを定めるだけでなくて、ほんの1度2度でもいいから頭をその方向に動かしてつかみに行くべきだった。。


いや~、これは重要な気づき。脳って不思議。



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