隠居29日目、食生活が乱れ始めている、運動習慣の確立も路半ば・・

 隠居生活をはじめてほぼ1か月。まだまだ新生活も確立できていないが、新しい生活を確立する前からいろいろと綻びや乱れも生じ始めている。

若干血圧が高いのも問題だが、体重も増え始めたようだ。今測ると57.8㎏。昨日の夕食後には58.5㎏だった。ほんの1週間前まで56㎏台だと思っていたら、あっという間だ。まだ太った~というほどでもないが、早いうちに手を打たねば。自分の場合、いちどうまくいかなくなってしまうと、「もうどうでもいいや~」とすべての計画を放棄して、そのまま坂を転がり落ちがちだ。


体重が増え始めた理由は夕食の食べ過ぎだ。朝食はだいたい管理できているし、昼食はあまり取らないし、問題は夕食だ。


両親は歳にしては意外と食べる方だが、なんせ気まぐれだ。え?というくらい食べるときもあれば、う~む大丈夫か?というくらい食べないときもある。なので、夕食を作る量を調整するのが非常に難しい。少なく作るといかにも食べ足りないという感じで「うちはこんなに貧乏なのか・・」と涙を流しそうな気配だ。食べ物が余るくらいがよく、それもいろいろな料理が必要というよりは同じものでいいから大量に、といういかにも健康に悪そうな主義だ。

「食べないよ」「もうお腹いっぱいだから食べられない」と言うので何も用意しないと、お腹が減ったと言い始める。そうかと思うとお菓子とか菓子パンとかをたくさん食べて、ほんとうにご飯を食べなかったり。結局どれくらい食べるのか、食べないのか、食べたいのか食べたくないのか、予測を立てるのが困難だ。

そうなると自然夕食は“とりあえず”多めに用意することになる。余るくらい食べ物があるのがよいのだが、しかし余らせるということは許されない。もちろん食べ物を捨てるという罪は許せないので、誰かが無理して食べきるか、どうしても食べきれないものはいつまでも冷蔵庫に保存するかだ。冷凍食品の煮魚の汁すら捨てずにご飯にかけて食え食えと言う。いや塩分控えている身にはそれが一番の毒なのだが、食べ物の一部を捨てるよりは健康を害した方がましだという勢いだ。ご飯にかけて食べられないくらいなら、その煮汁すら冷蔵庫で保存しようとする。冷蔵庫は万能の保存庫だと信じているので、冷蔵庫にはいくらでも物が収まるし、そこへ収めさえすれば恒久的に食べ物が保存できると信じているようだ。


そんなこんなの積み上げの結果、両親の腹具合を測り損ねた調整分と、捨てることの許されない余剰分とは結局のところ、最終的に自分の胃袋で隠蔽するしかなく、食事は腹八分目に抑えたいという夢は、腹いっぱいのお腹と裏腹の憂鬱感とに千々に引き裂かれむなしく打ち消されることとなる。


「お~い、昼ご飯!」と階下から声がかかる。姉が京芋を食べられるように調理して持ってきてくれたのだが、さっきこれは夕食にしようと両親が言ってたので、今日は昼食はいらないのだな、と思って登ってきたたばかりなのに。


ようやくインターネット回線が入るめどがついたが、今月末だ。生きてるうちに家のスマート化を急ぎたいが、ネットが入るまではそれもお預けだ。いやしかしドコモ光にしたは失敗だったかもしれない。えらいお役所仕事で工事はずっと先だわ、工事日の決定のためにも電話で2度こちらから連絡しないといけないわ、こんなに非効率にしないとインターネットすら引けないもんだろうか。どんなに非効率で非生産的でも経営が保証されているのが旧国営企業支配の仕組みなのかもしれないという陰謀論が頭をよぎる。まあ自分のようなブランド信奉者がその仕組みを支えてるのだろうけども。


そういえば、台所の水栓のノブが硬くなっていたので、水栓ごと交換した。水栓の交換なんてたいした額でもあるまいとタカをくくっていたら、その値段にちょっと驚いた。いや自分のカメラとかレンズとか、関心のない人からすると驚く値段だろうが、それはそれでそんなものだと思っているが、たかが台所の水栓がそんなにするなんて思いもしなかったからビックリした。普通の人はこんなところでお金をたくさん使っていたのか!そうやって経済は回っているのか!と合点がいった。こちらもシステムキッチン界を牛耳る寡占的企業のお仕事だ。少数の寡占企業がこの国のシステムキッチンの価格を裏で操作しているのではないか、そしてそれはシステムキッチンだけにとどまらず人々の日常生活すべてを支配しているのかもしれないという陰謀論すら頭をよぎる。


時間だけがあって社会との接点が乏しくなると陰謀論に流されがちだ。まだまだお昼に運動するには酷く暑い季節だが、今日はまだ運動するタイミングがとれてなかった。余計なことを考えないめにも、歩いて走って大汗かいてシャワーを浴びて夕食を少なめに用意して、今日も早く寝ることにする。


と思っていたら、「お~い、散歩いかんね~」と階下から声がかかる。さっき昼食を食べながら夕方は6時になって涼しくなってから散歩に行こうと話し合ったばかりだ。なのでその両親の散歩に付き合う前に自分の運動を済まそうと思っていたのに。夕方は姉が来るかも知れないから、その時には家にいないといけないから、夕方に間に間に合うようにすぐに散歩に行きたいという。この気まぐれさとせっかちさが自分の血筋なのだという諦念しかない。やはり自分の運動はお昼にスポーツジムに通うしかないようだ。生きてるうちに早めにスポーツジムに入会することにしよう。



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