やらないことを決める、それは諦めではない。以前の選択を変える、それは変節とは呼ばない。。リハビリ病院65日目、退院まで9日

 5:00起床、雲の多い晴れ、一連のリハビリセットを終えると6:50。 膝蹴上げ100、ランジ左右20✖2、左、右カーフレイズ50✖3、斜め腕立て30、ディップ30、尻トレ左右100、バタ足100、両足あげ100、グリッパー100。


今日のリハビリは、9:40からOT。15:00からPT。OTは1か月前にやったテストセットと同じものをやる。トレイルメイキングA・B、ひらがな文章の中のア行の文字探し。

前回は⇒リハビリ病院41日目前回はAもBも1分20~30秒くらいだったようだ。今回は、トレイルメイキングAは56秒、Bは1分20秒。Aはだいぶ早くなった。Bは変わらなかったが、「え」が探せずに時間を大きくロスしてしまった。まあ自作のトレイルメイキングBもどきで練習してきた成果はあったといって良いだろう。まだ速くなる余地はあるので、もどきはまだ続けることにしよう。ひらがなのア行探しも見落としはだいぶ減ったので良しとしよう。


PTははじめにマットの上で柔軟体操、そのあと病棟の廊下でいろいろな歩き方、スキップ、前へジョグ、後ろ向きでジョグを切り替えながら。久しぶりにジョグをしたが、やはり歩くより気持ちよいかも。

自主トレはルームランナーでウォーイング、傾斜1.5、時速6.0㎞で50分+ウォームアップ6分。左臀部に張りがあるような気がしたので、速度を落として6.0kmにして、時間を少し長くすることにした。時速0.5㎞の小さな違いだが、やはり踵や足の裏、膝に対する衝撃がだいぶ違う。時速6.5kmは自分のスライドでは足への負荷が大きいようだ。しばらくは時速6.0㎞で時間の長さで負荷を調整するようにしよう。自主トレのあとのPTの時に、リハビリ室のルームランナーがジョグしても良いのか聞いてみたら、担当のPTの先生に一度見てもらって確認してからでないとダメということだった。もう退院までそんなに日数は無いが、今度聞いてみよう。

ルービックキューブ、トレイルメイキングBもどき、間違え探し、継続中。


朝のリハビリセットをこなしながら考えたこと2つ。

一つは、あと何年自分に時間が残っているつもりで生きるかについて再確認。たぶん多くの人は自分が平均寿命+10年くらい生きてるというつもりで生きているのではないか。今男性の平均寿命が80歳だと考えると、90歳くらいまで生きるんではないかなと考えて、年金足りるかなとか、貯金がこの額で足りるかな、とか考えて生きているし、周りの人も、あなたは90歳くらいまで生きるつもりで我慢して働かないとダメよ!と言うものだろう。もしくは今は人生100年時代なのよ、100歳まで生きてる前提でお金貯めとかなきゃだめよ!となる。で、自分の場合はこのなんの付与条件もなしに平均寿命から推定余命を考える考え方はまったくもう当てはまらない。高血圧の脳卒中患者としいう余命に大きくかかわる付与条件を無視した平均寿命など自分の余命推定には無意味なことだ。

一番自分の余命を推定するのに良いデータは、50代の脳卒中患者の5年生存率50%、10年生存率20~30%というデータだ。この状況で100歳まで生きるつもり、あと45年残りがあるつもりで人生の時間を使っていたら呑気が過ぎる。自分の残りの時間を無駄にしないためには、半々の確率のあと5年を基準に、何に時間をどう使うべきかを考る必要がある。して5年たってまだ生きてたらその条件でまたあと5年生きているつもりで改めてどう生きるかを再調整しなおす。もしくは日々5年先まで生きているつもりで残り日数を更新しながら何をすべきか考える。その辺が正解だろう。古典的統計学的考え方で自分の余命を考えていては大きく誤る。事前確率で情報を考慮していくベイズ統計の考え方が大切だ。

死ぬ瞬間にあれは無駄だった、あれをやっとけばよかった、これができて良かったと自分の人生を総括して後悔するも満足するも、すべては自分の心、感情、意思を尊重できるかどうか次第だ。何となくいつまでも生きてるんじゃないかな~という期待とか、長生きしたらどうしようという不安だかに寄りかかって思慮も計画もなしに自分の意にそわない時間を浪費してしまわないように、鉄の意志が必要だ。


二つ目は本当に自分が残りの時間を使いたいことに時間を使うためには、やらないことを決めることが重要だということ。自分はあれもやりたいこれもやりたいとなんでも手を出したがるタイプだ。だが時間は有限で希少資源だ。5年というと休みを除けば15000日とかくらいだ。1日にできるアクティビティはせいぜい2つというところだろう。午前中に何かやって、午後に何かやって、2単位。だとすると残りできることは、3000単位でしかない。何かをやれば何かはできなくなる。やりたいことをやる時間を増やすためには、やらないことを決めることだ。

ベッドに寝たきりの入院生活をするなかで、身体を自由に動かせないフラストレーションが大きくなって、退院したら太極拳が習いたい、テニスも習いたい、と考えてきた。だけども、今になって考えると、本当に両方とも自分がこれからやりたいことなのだろうか?太極拳は高血圧を下げるのにちょうど適切な運動だろし、病室という限られた空間でも静かに一人でもできる運動だな~、リハビリにピッタリ!テニスはボールを眼と身体で追いかけて、楽しみながらゲームしているうちに体力も高まるリハビリにぴったりのスポーツだな~、視覚のリハビリにピッタリ!と考えてのことだ。もうすでに身体も眼も頭も自分がやりたいことをやるには事足りる状態にまで回復している、高血圧はもう今後ずっと減塩と薬でコントロールしていく覚悟ができている。そんな今、どちらも自分の人生の貴重な残り時間を使ってほんとうにやりたいことだろうか?どちらもリハビリに良いだろうし、もちろんもっと能力が増えてもっと体力も高まった方が将来困るかもしれないことが減らせるかもしれないが、それは使うかどうかもわからない将来に対する投資みたいなものだ。残り時間5年という人生の決算期に、本当にやりたいことに使う時間を割いてまで時間を使うべきことだろうか?リハビリを頭においてのことなら、むしろ本当に自分が時間を使いたいことをやること、その中で困ることがでてくればその都度それを解決していく努力をすることのほうが、本当に自分が必要としている能力のリハビリになるのではないか。リハビリのためのリハビリと、やりたいことのためのリハビリとは明確に区別して、リハビリのためのリハビリはやめるべきではないか。身体を動かせないという条件の中でやりたいと思ったことに、身体が十分に動くようになった今、自分が縛られる必要は何もない。ころころ気が変わってしょうがねえな~という声に遠慮する必要もない。モンティホール問題で事前確率が変わった時にははじめの選択を変更するのが正解なのと同じだ。5年という残り時間を考えると、やらないことを決めることは、やることを決めることと同じくらい大切なことだ。リハビリをする中で、自然回復する中で、日々これ条件は変わっていく。事前条件が変わるたびに選択肢を変えていくのも大切なことだ。


と、ごたいそうなことを言った後に、おいおいなんだよそんなことかよ~という感じで恐縮だが、そんな中で、じゃあ自分、何やりたいの?と考えて出てきたのがビリヤード。え?ビリヤード?本当にやりたいことってビリヤード?ボランティアとか環境保護とか慈善活動とか、脳出血患者の支援とか、、じゃなくてビリヤード?って感じだろうが、そうだ退院したらビリヤードに通おう!と決めた。これがまだテニスだったら障害を克服しようとリハビリ頑張っているんだな~、身体の健康を考えて立派だな~と褒められるくらいだろうが、ビリヤード?ああもう健康のことも考えず遊んでばかり、控えめに言ってクズだな、、となるかもな~。でも人がどう思うかは関係ないではないか。名こそ惜しめと、言うが無責任な他人からの視点の話だ。時こそ惜しめだ。残りの希少な時間資源を何に使うのが自分に対する見返りが大きいのか、それだけだ。もちろんビリヤードだけをやるということではない。他にやりたい仕事をするし、他の趣味もリハビリも続ける、それに加えてビリヤードの時間も確保する。

ビリヤードは若いころ大好きで、よく友人3人とビリヤード場へ通った。もっとビリヤードしたかったが他にもやることはたくさんあって、なんだかんだで充分にやれなかった。歳とったら、どっちかの友人がビリヤード台付きの別荘でも持つ金持ちになっていて、別荘に泊まり込んでひたすらビリヤードで遊べたら幸せだろうな~と夢想したものだ。この飽きやすい自分にとっては、飽きたり挫折したりしてやらなくなったってわけではない数少ないアクティビティで、もし今死んでしまうとしたら、あ~あれをもっとやっとけばよかったな~と人生後悔案件の上位に食い込んでくるくらいだ。

眼が見えにくくはなったがビリヤードをやるには支障というほどではないだろう。遠近感がつかみにくいのは狙いを定める上で問題だが、もともと遠近感悪いし、ショットまでの時間制限があるわけでもないビリヤードでは問題ではない。そうだ、自由の身になったら、こころゆくまでビリヤードをやろう。


今日も壮大な言い訳に駄文を重ねてしまった。顔面マッサージをしてはやめに寝ることにする。


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